昨日この本読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術を買って読みました。
まあ、タイトルのとおりなんですけど、ターゲットを絞るとかターゲットに向けて書くのではなく結果自分が読みたいと思うものを書くと楽しい。
バズるとかそういうのを狙うよりもそのほうがずっといいと。そういう内容なんですが。
これは表現という意味では踊りも同じかもしれない
そう、踊りとかも同じかもしれないなと。
人に求められているものだけをやっていくのはきついし
ただ、自分ができることだけやるのもつまらないし
一番楽しいのはしんどいけど自分が観たいものを自分でつくるということではないだろうか?
踊りにおいては柔軟性だったり筋力だったりセンスだったりももちろん必要なのだけれどその自分の観たいものに近づけるために努力してるプロセスが大変だけどめちゃくちゃ面白いし、楽しいのだと思う。表現って全部そうかもしれない。
そういう意味では文章だと、単に書きたいものを書くではなく、読みたいものを書くということは、自分が知りたいこと、見て見たいことを書いていくにはすごく調べなくてはいけないかもしれないし、もっと繊細な表現が必要かもしれない。
多分そうやってできた表現物というのは世間の評価なんてものはとてもちっぽけなものにさえ思えたりするのかもしれない。
じゃあ、自分の見たいものって何だろう?
何かなと考えた時に、やはりいろんなものを見てデータを増やしていくのって大事じゃないかと思った。
こういうのやって見たい、そういうものをたくさん見る。
絶対無理だと絶望することもあると思うけれど、
それに近づけるには今わたしは何をすればいいのか、とか擦り合わせていく行為をしていくことになる。
それもまた大変なんだけど。
そーゆー意味でやっぱりいろんなデータをかき集めるためにもピンときたものや「おすすめだよ」ってものとかじゃんじゃん見たい。
ちなみにわたしは現代サーカスとかミュージカルとか好きなんだけど。自分的には宝塚はハマらなかった。劇団四季も初めて見たときはよかったんだけど、色々見ちゃうとあまり面白いと思なくなってしまった。しかし初めて美女と野獣を見たときは結構衝撃でしたね。
見たいと思うことをやるには
そしてそして、データが集まったらば、やることは自分に足りない要素や自分が今できないことを可能な限り近づけるためのトレーニングをすることです。
それははっきり言って、1円にもならないかもしれないんですが。
そのためのスケジュールだとかを立てて実行に移すのですが、基本的にそうそう計画通りにことは進みません。怪我したり、仕事忙しくなっちゃったり、メンタル病んだり。
それをどうコントロールしていくかっていうのは結構体力も精神力も必要なんじゃないかしらと思っています。
ちなみに私は全くもって計画通りに練習は進みません。